ゲットだぜ!(モザン93日目)
今まで、ウィスキーは良い思い出がないため敬遠していたので初購入。
(記憶が欠けた過去三回の原因はウィスキーロックかストレート。チェイサーもちゃんと飲んでない。)
というのも、ここモザンで女性が一人バラッカ(屋台みたいなやつ)で飲むのはあまり良くないそう。
田舎にいけばいくほど、娼婦とみられてもしかたないそうな。
お酒が飲めることはもちろんのこと、そこでモザン人と話すのが楽しかったわけですが…。
ここは日本ではない。
郷に入ったら郷に従いましょう。
一人バラッカ飲みは少し自重しようかと思う。
しかしながら、ビール飲むんだったらここモザンではバラッカで飲む方がコスパが良いのと、
ビールはプリン体が気になるのと_(:3 」∠)_
ワインも好きだからワインは買っていたけれど、
冷たくてシュワっとしたやつも飲みたかったため、手に入れたのがこちら。
ハイボールさんにしようかと思いまして。
今までそこまでウィスキーに興味がなくて何を買えば良いか分からなかったから、お店でネットを見ながらコスパと評判を両立したこの子を買いました。
ウィスキーも種類が色々あるんですね。
飲み方も色々あるみたいだから今後が楽しみ(*´﹃`*)
(ウィスキーの飲み方が紹介されているHP:https://macaro-ni.jp/28803)
やっぱり飲食は大事。癒し。
アルコール以外の癒しでは、ミルクティーが癒し。
こちらはほぼ毎日作ってる。
ルイボスティーが安価で手に入るため、それで作っているけど中々相性が良い。
牛乳はこれが飲みやすい。
(でも日本と違って常温で売られてて生で飲むのは恐いから、加熱しないと飲んでいない。)
飲食で言えば、ネスレさんはここモザンでもよく見る。
日本でもよく見てるからなんだか安定感というか安心する。
一番右のオイスターソースは、パスタ麺と絡めて焼きそば風にしてる。めちゃ旨い。
あと、パスタと醤油やごま油などで作るなんちゃってラーメンも中々好き。
これに重曹入れると中華麺っぽくなって、より近くなるらしいから重曹欲しい。
いやてかパスタ最強。
【前書き(として書いて、書きたかった話と関係のない話だから後ろに持ってきた)】
「ゲットだぜ!」
という言葉が思い浮かんでから、ポケモンのOPソングが頭の中で流れている。
懐かしい。
今でも人気なんだからすごい。
最近、ツイッターでメタモンの指輪を見つけて密かに欲しいと思っている。
めちゃかわいかった。
しかしながら、普段からアクセサリーは着けない。
ピアスのための穴も開けていない。
モザン人は日本と比べるとピアスのための穴を開けている人が多いように感じる。
私の通っている中等学校の生徒も開けている生徒がいる。
それがダメということはない。
そこは文化ですね。
かわいいピアスをしている人も多いので、「それ素敵だね」って先生と会話してたら、私も開けたら良いよって話になった。
別の日にその先生にまた会ったときに「まだ開けてないの!?」っていう話になったけど「恐いから」という理由を付けつつ、いやまあ実際に恐いところと(ここでは特に衛生的に)、州都といえどこの田舎街であんまりアクセサリーを着けてお金を持っているというのを見せたくないのと(気にしすぎかもしれないけど)。
いやもうそんなことしてなくても、アジア人ってだけでお金を持っているって思われているんだろうけど。現地からしたら実際そうなんだろうけど。
学校でも私の持っているカバンや辞書やUSBなどなど欲しい欲しいという会話が先生とあって、少し、いやだいぶ嫌になる時がある。
先生と事務員併せて100人はいるから、もちろん全ての先生がそうというわけではないし、先生によってもガチで言ってきている感じの人と、会話をしようと思って言ってきている人がいる感じの人がいて、いやしかもこれも私主観の感じだから本当のところなんて知らないんだけれど。
アジア人ってだけでここでは目立つし、街を歩いていると写真を撮られたり(許可求めてくるやつと求めてこないやつと)、知人のモザン人の車に乗っている時に子どもに囲まれたり、いやもうパンダの気分。
いやもうそんなパンダの状態だから、外に出たら何かしらストレス(良くも悪くも)を受けるので、少し気合がいる。
首都のマプトにいた頃よりも、人と近い感じがするから余計に気合がいる。
(これはここに限った話ではなく、どこでも都会と田舎特有の違いがあるんだろうけど。)
最近のマインドの持ち方としては、いつもではないけど、ゲームをしている感覚を持っている。
妙にというか、めっちゃリアルなRPG的な。すごい精巧なゲーム。グラフィックとかの精巧さが半端ないなって。
それは前にブログでも書いた「人生ドラクエ化マニュアル」を読んでからその感覚を持つようになったんだけれど(ブログURL:https://deramaiono.hatenablog.com/entry/2020/02/08/194711)
ゲームって楽しいけど、人生自体もそうなったらめっちゃ良いよね。
だから、たまにゲームをプレイしている感覚で生きている。
いつもではないのは、ゲームといえどずっとプレイしているのは疲れるので、たまにプレイする感じ。
リアルな世界に感動しつつ、人と会ったときなどにはイベント発生的な感覚で対処するからなんだか楽しい。経験値ゲット的な。
体力やMP、感情の作用などを見ながら進めていく。
そうすると、客観的に今の状況や自分を見ることがしやすくなるから良い方法だなと思っている。
よく「鳥の目」とかいって、俯瞰して状況を見ることが大事だっていうけど、意識しようと思ってもなかなか難しかったので、その観点でもこの方法は自分には合っているなと。
もう一つ最近のマインドは、「今日が最後の日だとしたらどう行動するか」もある。
これもよくある話ではるけれど。
東日本大震災が全く影響してないかっていうとそうではなくて。
それだけが影響しているかというとそうでもなくて。
なんにせよ明日、ましてや数秒先に何が起こるか生きているかもわからないわけで。
だからこそ、今の感情や気持ちに従って生きたいと思った。
もちろん、多くの場合は人生が長く続いているわけだから、感情論だけで生きるのは、その先に生きづらさを感じることもあるだろう。
だから、ある程度の最適化を図りながら生きてはいる。
でも、「この先」なんて本当に分からないから、自分の意識の無くなる瞬間まで後悔のないように生きたいなと思う。
【あとがき(として書いて、そのまま後ろに置いてる)】
最近の人生の捉え方は「人生は川のようだ。己は川に立っているのだ」的なやつ。
これもよくあるフレーズですね。
モザンに来る前にこの言葉に触れていたけど、最近すごくしっくりきているというかこう捉えている。
自分がどうしようと。なにかかにか上流からは流れてくる。
上流から流れてくるものは自分の力ではどうしようもない。
ちょっと自分のいる場所が右か左かで流木やら何かに当たったり当たらなかったり。
その何かを想定して事前に準備していればダメージが軽減されたり、思わぬアイテムをゲットしたりとか。
ここら辺は、ゲーム理論と近いところもあるけれど。
あんまり自分の感情を多くの人に話すのが好きではなかったけど、こうやってブログではかなり感情を書いている。
最初は過去の自分を振り返る備忘録的な役割で書いていたけれど、人からもらう反応が自分の考え方に影響することもすごく良いなとも思っている。
出すことで返ってくるものあり、それも学びというか人間だなあと思ったり。
だからこそ、言葉って大事ね。
うん。本当に。
生徒にしろ、先生にしろ、友人にしろ、アコンパニャールさんにしろ…。
(アコンパニャールさんの話)
いつもと違う道を通ったのに。
生徒とよくわかんない大通りじゃない通りを通ったのに奴はいた。
一緒にいた生徒が「よくない人」って言って、一緒にシカトして歩いたけど。
彼は何かを言ってたけど。
今日は授業以外にも仕事があって、いつもより帰宅が遅くなって周りは薄暗く。
そしてまたもや奴に出くわす。
帰り道に自宅まではシャレにならない。
逆の横断歩道に渡って、家と逆方向に一回歩いて撒いて、
でも、また会ってしまって、また上記を繰り返して。
本当何してるのこの人……。
言葉って大事。
うん。
モザンビーク 93日目(まじか)
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